私の引っ越し体験は4回

出身は群馬県高崎市でした。

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父は当時大和ハウスに務めており、転勤があったのですが、初めての引っ越しの時は小学校2年生が終わり、その春休み中でした。

その当時の引っ越し先は同じ学校区内だったので、トラックでの荷物運搬で済んだのですが、小学校を卒業間近になり、はるばる北九州市への引っ越しをする形になったことを父から聞いた時は愕然としました。

小学校を卒業してから引っ越しまでの時間はすごく短く感じました。

当時私は小学校を卒業したばかりだったので、引っ越し費用の内訳や相場などはよくわかりませんが、家族での引っ越しだったのと、関東地方から北九州市への引っ越しだったので、荷物がどんな風にして運ばれたのかと思うと大変だったことが予想されます。

食器など小物の荷物の梱包は自分たちでできる範囲はしましたが、妹がまだ2歳だったし、荷物の整理が思うようにはかどらず、大変だったのを今でも覚えています。

一軒家からマンションへの引っ越しだったこともあり、マンションでもエレベーターから部屋までが離れていたので家具等の運搬も大変だったと思います。

引っ越し後の荷物の整理は、学校から帰ってからしておりましたが、時間がかかって大変でした。

家族は、群馬県高崎駅から在来線や新幹線等を使って移動しました。

中学1年生が終わり、その春休みに3度目の引っ越しがありましたが、中学校が2つの小学校からの生徒数で構成されていたので、小学校でいえば転校をする形になっていたかもしれませんが、中学校の校区内だったので良かったと思います。

ただ、平坦なところにあったマンションから、急な坂道の上に建っている高台のマンションへの引っ越しだったので、通学時や通勤時が大変でした。

妹が、下関の専門学校へ通うために一人暮らしをするからと、引っ越しを手伝ったこともありました。

妹の引っ越しの際は父の会社でクロネコヤマト単身パックや軽トラックを拝借して少しずつ運ぶ作業だったので、そんなに費用はかからずに済んだと思います。

妹は2009年に結婚して、祖父母も亡くなり、祖父母宅の土地に親世帯と子世帯の二世帯住宅を建てて、そこに引っ越すことで4度目の引っ越しは終わりました。

私にとって4度目の引っ越しは、中学2年時から住み慣れた高台にあるマンションからの引っ越しだったので、荷造り作業に向けて、本当にいろんなものを処分したり中古の買い取りをしてくれるところに持参したりしました。

建てて良かった注文住宅

10年前ミサワホームで注文住宅を新築しました。
はじめは予算の関係上建て売りの物件を探していたのですが、なかなか理想の物件が見つかりませんでした。
特に重視していたのが間取りで、今流行りの吹き抜けやダイニングキッチンなどのある家ではなく、キッチンを中心としたリビングで家族が常に同じ空間を共有できるような家を探していました。
ある日妻の幼馴染で大工をしている方から注文住宅を勧められ、予算をそっちのけで話が進み図面上に理想の家を作る事ができました。
その際、こちらのサイト(家を建てる1000万円)が大変参考になりました。
苦労してミサワホームさんで設計した間取りは、気づくと昔からある普通の家で何の変哲もなく驚きました。
将来後悔しないように「ああした方が良い、こうした方が良い」とストレスを感じるほど悩みましたが、結局「今の自分が考えた家を十年後の自分が満足するわけがない」と考えるようになり、今一番良いと思う家を素直に建てる決心ができました。
そして予算もなんとか都合し家がみるみる建って行きました。
実際に家が建つと想像以上に大きく立派なものに感じ、「自分の家」という実感がなかなか湧いてきませんでした。
生活が始まりいろいろな改善点や建ててみて初めて気づいた事など、思っていた以上に悔しい部分がありましたが、自分で1から作ったという経験のおかげでとても愛着を持つ事ができています。